JR三ノ宮駅から東へ歩いて5分ほど。繁華街・三宮のすぐ隣にありながら、昭和の風情を色濃く残す二宮、通称〈裏三宮〉。その中心に「神戸肉料理 すぎたに」がある。世界に名を馳せる神戸牛をジャンルにとらわれない創作料理で提供する評判の店だ。手掛けるのは、大学の同級生だったという江顕仁氏と杉谷壮一郎氏。今から十年前、この街で小さな立ち飲み店「べらみ」を始めた二人は、いまや二宮に三つの個性的な店を構える。「こんなところに、こんな店がある」。その驚きを武器に、二人は〈裏三宮〉という新しい物語を紡いできた。二宮への愛と神戸への想い、そしてこれからの夢を伺った。

「神戸肉料理 すぎたに」を手掛ける、合同会社SMYHの江顕仁氏(右)と杉谷壮一郎氏(左)。
1. お店を始めたきっかけ
二人の物語は大学時代に遡る。同級生だった江氏と杉谷氏。「べらみ」という店名は、もともと江氏の叔母が営んでいた、缶詰と瓶ビールでもてなす小さな立ち飲み店に由来する。二人もその立ち飲み店で働いていたが「このままでは先が見えない。しっかりお店をやろう」と江氏から杉谷氏へのプロポーズがあった。そこから二人は本気で飲食の世界に足を踏み込んだ。
まず基礎を固めようと神戸市内のピザ店で一年ほど一緒に働いた。「同じ店にいても、同じことしか学べない」。その後はあえて別々の店へ。それぞれが違う技術を持ち寄り、再び合流する。そして2016年、二宮に自分たちの店「べらみ」を開いた。
物件は、知人づてに聞いた古い立ち飲み店の居抜き。内装はほとんど手作りで、夜中まで二人で配線を通し、女性も入りやすいおしゃれな空間へと作り替えていった。鍵を受け取ってから、オープンまでわずか五、六日。常識外れな突貫工事の裏には、「前の店に通ってくれていたお客様を、一日でも早くこの場所で迎えたい」という思いがあった。
なぜ、神戸の繁華街・三宮ではなく、二宮だったのか。「三宮で出店するのが神戸のセオリーなんです。でも、わざわざ離れた場所で注目されるほうが、かっこいいし、面白い」と江氏は振り返る。人通りが少なく、どこかアングラな空気が漂うこの街を、二人はあえて選んだ。
その「べらみ」が「神戸肉料理 すぎたに」へと姿を変えたのは、コロナ禍がきっかけだった。大勢で肩を寄せ合う立ち飲みのにぎわいを取り戻すには、いったい何年かかるだろう。そう考えたとき、二人の答えは「同じことを続けるより、変えるほうが楽しい」。神戸空港の国際化やインバウンドの増加も追い風となり「世界に誇れる神戸牛で勝負しよう」と決意。2023年「べらみ」の箱は神戸牛づくしの一軒へと生まれ変わった。

木のぬくもりが心地よい、カウンター席のみの空間
2.こだわっていること
「神戸肉料理 すぎたに」で提供する肉は神戸牛のみ。そもそも神戸牛とは、素牛である但馬牛の中から、厳しい基準をクリアしたものだけが「神戸牛」を名乗ることができる。
「神戸牛といえば、鉄板焼きやステーキを思い浮かべる方が多いと思います。でも、うちはそれだけじゃない」。フレンチやイタリアン、創作で培った引き出しを生かし、王道からジャンルレスな創作まで。また「肉の重さを緩和しながら、コースを最後まで心地良く食べて頂けるように、和食と掛け合わせて調理しています」。杉谷氏の想いが料理とお客様をつなぐ。神戸牛の肉質はもちろん、食べ心地を意識した品々が、オープンキッチンのライブ感と共に多彩な表情で味わえる。

自家製ポン酢でいただく炙り神戸牛(冷前菜)

うに・神戸牛・カニの手巻き寿司
料理と並んで二人が大切にするのは、店そのものが放つ空気感だ。「まず二宮というエリアがあって、人通りが少なくて、古い商店街があって……ちょっとアングラな感じなんです」と江氏。こんなところに店があるんだ。という心細さすら、いいスパイスにしたいという。「だから、扉を開けた瞬間に思わず『わっ』と声が出る。そんな空間を狙って作っています」。
空間づくりは、独学だ。「これがいい」と思ったイメージを集め、信頼する設計士に相談しながら形にしていく。三つの店を約二か月おきに次々とオープンさせるハードな道のりも、丸一年かけてスケジュールを組んでくれたという。「できるだけ神戸の人と一緒に仕事をしたい」。地元のつくり手との縁を大切にする姿勢が、店づくりの根っこにある。
3. スタッフとの関係で大切にしていること
二人三脚で歩んできたその関係を、江氏はこう表現する。「僕は夢を語るタイプ。彼(杉谷氏)は、それを受け止めて、ときに止めてくれるタイプなんです」。「やりたい」と言い出す江氏に、杉谷氏が「いいよ」と背中を押し、ときに「それは絶対にあかん」とブレーキをかける。この絶妙なバランスが、次々と新しい挑戦を形にする原動力になっている。
また二人に共通するのは、情熱を持って飛び込んでくる人に、思い切って舞台を託す姿勢だ。系列の「焼鳥 米澤」は、「コースの焼鳥屋で勝負したい」と手を挙げた米澤大貴氏に任せる形で生まれた。すぎたにの箱も、かつて「自分の店をやってみたい」と門を叩いた女性スタッフに、おばんざい店を任せていた時期がある。
そして店を支えるのは、長い付き合いのつくり手たちでもある。たとえば系列のピザ店「Za’snatch(ザスナッチ)」では、仕込みに手間のかかるピザ生地を、「べらみ」時代から縁のあるベーカリーが、成形して発酵前の状態で届けてくれる。おかげで毎日の仕込みが二時間ほど短縮できるのだという。「ありがたいです。べらみで縁をつないでおいて、本当によかった」。人と人のつながりが、そのまま店の力になっている。
4. 印象に残るお客様とのエピソード
杉谷氏が真っ先に挙げたのは、立ち飲み「べらみ」を閉めた日のことだ。
「べらみは、いろんな出来事が生まれる交差点みたいな場所でした。公民館、と言ってもいいかもしれない」。べらみで出会って結婚したカップルもいれば、知り合って一緒に仕事を始めた人たちもいる。今、店づくりを共にする設計士との縁も、もとを辿ればこの店だった。
そんな「べらみ」を閉めるとき、忘れられない光景があった。「お客様が泣いて、僕たちは笑顔で店を閉めたんです」。一軒の飲食店が幕を下ろすのに、これほど惜しんでもらえる。「自分たちは、お客様に楽しい・美味しい・幸せを届けてきたつもりだった。でも本当は、もらっていたのはこっちだったのかもしれない」。その実感は、日々の営業の、確かな糧になっている。「しんどい日もあるけれど、頑張らなきゃと思える。心のエネルギーですね」。

べらみ時代の風景(立ち飲みカウンター)
今も「べらみ」の名を覚えている人は多い。すぎたにを訪れて、「ここ、昔べらみだったよね?」と気づくお客様も少なくないという。それだけこの街に強い存在感を残した店だった。

べらみ時代の風景(立ち飲みテーブル)

べらみ時代の料理
5. これからやってみたいこと
夢を語り出すと、江氏の表情がほころぶ。「今いちばんやりたいのは、ワッフル屋さんなんです」。
学生時代、三宮の高架下に二階建てのワッフル店があった。あの香ばしい匂いの記憶が、今も忘れられないのだという。「ふとした瞬間に、あの匂いを思い出す。そんなふうに、みんなの記憶に残る店をつくりたいんです」。肉から焼鳥、ピザ、そしてワッフルへ。「同じものより、別々のものを作るほうが楽しい」と笑う。その横でストッパー役の杉谷氏は、まだ思案顔だ。
一方で、店を増やす確かな手応えもつかんでいる。ピザ店「Za’snatch」で確立した、地元のベーカリーと組んで生地を供給してもらう仕組みは、ほかの土地でも応用できる。「チャンスがあれば、二号店やフランチャイズも。その土地のパン屋さんと一緒に頑張れたら、お互いに嬉しいですよね」。
二人を駆り立てるのは、社名にも込めた哲学だ。合同会社「SMYH」は、“Starvation Makes You Hungry”の頭文字。意味は「飢餓状態が人を貪欲にする」。立ち止まらず、常に貪欲に。その姿勢が、次の一歩を生み続けている。
そして、十周年の節目に二人はもう一つの夢を温めている。惜しまれながら閉じた「べらみ」を、2026年の秋頃に一週間限定で復活させる構想だ。「閉めて四、五年。当時のお客様も、今では結婚して子どもがいる人も多い。その日は、親に子どもを預けて遊びに来てくれる日になると思うんです」。再会の場を、もう一度。しかも今回は、杉谷氏から「やろう」と言い出したのだとか。「彼から言ってきたなら、もうやるしかないですよね」と江氏はやる気に満ち溢れている。

杉谷氏が腕を振るうオープンキッチン
6. この街「神戸」への想い
最後に、神戸への想いを尋ねた。江氏の答えは、まっすぐだった。「正直、神戸という大きな括りより、いかに二宮でやるかのほうが、僕には現実的で大事なんです」。
掲げるのは、「二宮に飲みに行こう」という合言葉を広めること。「神戸といえば二宮と言ってもらえるくらい、有名なエリアにしたい。二宮という新しいジャンルができたら面白い」。
その想いは、すでに次の世代へと受け継がれ始めている。かつて二人で営む「べらみ」を見て、「自分もこの街で頑張りたい」と動き出した人たちだ。以前、特集記事で紹介した居酒屋「ふじまる」の二人もそうだ。「僕たちの背中を見て、二宮で何かやりたいと思ってくれる人が増えたら、すごく嬉しい」。自分たちは、そのきっかけであり続けたい、と江氏は言う。「決めるのは、正直苦手なんです。でも、やり続けて、言い続ければ、必然的に叶うと思っていて。二宮を盛り上げたいと十年言い続けたら、本当に人が集まってきました」。
そして、杉谷氏が見据えるのは、もう少し先の未来だ。この二宮では今、大きな都市開発が動き出している。「僕たちが店を始めた頃は、まだ噂程度だったんです。それが、いよいよ現実になってきた」。あと二年ほどで、街の景色は変わる。人の流れがよくなり、店が増え、開発のタイミングと自分たちの歩みがぴたりと重なる日を、二人は心待ちにしている。
縁あってたどり着いた二宮で、十年。世界に誇る神戸牛の一皿から、街全体のにぎわいまで。「こんなところに、こんな店がある」その小さな驚きを積み重ねながら、二人は今日も〈裏三宮〉を、もっと面白くしようとしている。
店名:神戸肉料理 すぎたに
住所:兵庫県神戸市中央区雲井通3-4-8
【営業時間】
月・水・金/19:00スタート
火・木/18:00スタート
土・祝/17:30スタート・20:00スタート(二部制)
※完全予約制(コースは前日までに要予約)
定休日:日曜
予算:夜 ¥10,000〜¥14,999
席数:7席(カウンター7席)













