JR元町駅から徒歩3分ほど、鯉川筋を少し見上げて歩くと、隠れ家イタリアン「da Ypsilon(ダ・イプシロン)」が目に留まる。オーナーシェフの仲井裕三氏は、16歳から飲食業界に魅了され、イタリアでも4年半の修業を積んだ根っからの料理人だ。彩り豊かな前菜にはじまり、自家製の手打ちパスタ、黒毛和牛や羊や鴨などの肉料理も種類が揃い、カジュアルな空間で気軽に食事を楽しませてくれる。
通りがかってふらりと入った人が常連になり、その人がまた新しいお客様を連れてきてくれる。そんな「本来の飲食店のあり方」を理想に掲げる仲井氏に、店づくりへの情熱と、生まれ育った神戸への想いを伺った。

「da Ypsilon」オーナーシェフ 仲井裕三氏
1. お店を始めたきっかけ
仲井氏が飲食の世界に入った始まりは、高校生だった16歳の頃。居酒屋のアルバイトでキッチンを任され、手先の器用さを褒められたことから始まる。飲食の仕事を経験するほど、すっかりこの仕事に魅せられていった。「いつか自分の店を持てたら」そんな思いは、早い時期から芽生えていたという。
そして最終的に選んだ業態はイタリアンだった。仲井氏は、本場を知るためイタリアに渡る決断をする。
「イタリアンをやるなら、本場を知らないままではいられないと思って。それに当時は、『イタリア帰り』というだけで、店も、お客様の見る目も変わる空気があったんです。大きな土俵に立つためのブランディングでもありました。」
イタリアでの滞在は4年半。料理はもちろん、言葉も生活も、すべてが学びだった。イタリア語は、仕事でも暮らしでも必要なので必死に覚えていったという。
「夜中に携帯の辞書で調べて、次の日に使ってみる。通じたら『やった』、通じなかったら言い換えて、また試す。ゲーム感覚で、それはそれで面白かったですね。」
イタリアでの日々は刺激に満ちていたようだ。
実は、ほぼ同じ時期に、仲井氏の兄もイタリアで修業をしていた。当初は兄弟で一緒に店を経営する構想もあったが、意見が分かれることもあり、それぞれで店を持つ道を選んだ。ただ、普段は仲が良いので、今でも互いに相談し合う関係だという。
帰国後、最初に身を置いたのは、店舗の立ち上げを手がける会社の飲食部門だった。そこで共に働いた仲間とは、今も付き合いが続いている。
店を構えたのは、元町・鯉川筋の、もとは美容室だった2階。神戸駅、兵庫駅のエリアも候補に入れていたが、最終的に立地条件が合ったこの場所に腰を据えることを決めた。
2.こだわっていること
「da Ypsilon」の主役は、自家製の手打ちパスタと、黒毛和牛を使った肉料理がよく挙げられたりするが、「全部が大事」と仲井氏は語る。料理は前菜からメインまで、一皿ずつに目が行き届いている。
中でも力を込めるのが、前菜だ。
「前菜って、最初の一皿でしょ。お酒が一番進むところなんです。ランチタイムに『ドリンクは大丈夫です』と言っていた方が、前菜の盛り合わせを出すと『すみません、スパークリングください』と。それくらい、最初の一皿は大事なんですよ。」
肉、魚、野菜を扱うなか、表情豊かな前菜は、この店の入り口を彩る顔でもある。

黒毛和牛のタルタル 卵黄ソース

羊ランプのロースト ヘーゼルナッツのソース
料理だけでなく、厨房を支える設備にも、仲井氏のこだわりは及ぶ。開業時の初期投資として、真空調理のための機材などを導入した。仕込んだ食材を真空パックで保存し、提供前に湯煎で温める。イタリアの星付きレストランでも用いられる手法だ。
「機材は安くはないですけど、最初に導入しておけば、少ない人数でもしっかり店を回せます。」
またイタリアンならではの難しさは、パスタにあるという。茹で上がりのタイミング、パスタソースの水分量やオイルとの乳化のバランスなど、さまざまな要素で味が変わってしまう。
「パスタには絶対的なタイミングがあり、1人だと仕上げのタイミングは付きっきりになりますね。」
派手に打ち出すことはないが、一皿の裏には、本場で培った技術と、地道な手仕事が息づいているようだ。

トルテッリをはじめ、種類豊富な自家製パスタが揃う。
3. スタッフとの関係で大切にしていること
現在、店を切り盛りするのは少数でほぼ身内のみ、時には親が手伝いに来てくれることもあるという。これから少しずつ従業員を増やしながら、身内も従業員も織り交ぜた「ファミリー」のような関係性を仲井氏は思い描く。
「休みの日は従業員と会いたくない。という関係じゃなく、休みの日も、みんなでバーベキューに行ったり、遊びに行ったり。仲良くやりたいんです。そのほうが、お互いに『今こういう状況なんだな』とわかるし、向こうからも言ってもらいやすくなる。」
もちろん、メリハリは必要だ。それでも、ピリピリした空気にはしたくないという。「軍隊みたいにきっちりやる人もいて、それも一つの正解だと思います。でも僕は小心者だし、嫌われたくないので(笑)。だから、そこはバランスですね。」
その一方で、接客を疎かにしてはいけないと語る。スタッフにも、そこを大切にしてほしいと繰り返し伝えているそうだ。
「接客を雑にしたら、何のために飲食業をやっているのか、わからなくなりますから。お金をいただくのは、お客様からなんです。料理は、人が作って、人がお客様に出す。接客が雑になってしまったら、たとえいい料理でも、もったいないですよね。」
以前、外国人スタッフが働く飲食店で受けた印象も、仲井氏の心に残っている。言葉は十分でなくても、一生懸命に働いている。
それが、ちゃんと伝わってきた。「『この人、ちゃんと働いているんだな』と見えると、それだけでいいなと思うんです。」
技術や言葉より、人と向き合う姿勢こそが先に伝わるものだと、仲井氏は知っている。
4. 印象に残るお客様とのエピソード
オープンから、およそ半年。仲井氏がうれしそうに語るのは、すでに通ってくれている常連客のことだ。その多くは、何かの媒体を見て来たというより、店の前を通りがかって、ふらりと入ってくれた人たちだという。
「気に入ってくれた方が、また来てくれる。近所の方が友達を連れてきてくれたり、同じ仕事の人を紹介してくれたり。そうやって輪が広がっていくのが、本当に理想的なんです。」
仲井氏は、ネットの口コミとは少し距離を置いている。だからこそ大切にしたいのは、お客様自身の、生きた口コミだ。気に入ってくれた人がいて、そこから少しずつ広がっていく。その手応えこそが、何より心強い。
「ネットやSNSで一気に拡散するよりも、来てくれて、気に入ってくれて、そこから1人、また1人と広がっていく。そのほうが、はるかに本物だと思うんです。」

開放感のあるカジュアルな店内
5. これからやってみたいこと
今後について尋ねると、返ってきたのは、地に足のついた答えだった。
「店舗展開とかは、今は考えていないんです。まだ始まったばかりですし、まずは長く続けて、認知度を上げていきたい。この辺りで『いい店』として知られるようになれたら、と思っています。」
スタッフも今の2名ほどから、3〜4名へ。無理に大きくするのではなく、着実にイタリアンをこの地域に根づかせていく。それが当面の目標だという。
そのため、インフルエンサーやSNSの仕掛けには頼らないと決めている。「発信も自分でコントロールできるほうがいいんです。」
仲井氏が思い描く理想は、長く愛され続ける名店の姿だ。この街には、何十年と続き、もはや宣伝など必要としない店もある。「そういったお店は、お客様が自然と良い話を広めてくれる。あれが理想ですよね。」
イタリアでの修業時代に兄弟で描いていたのは、「神戸に1店舗、2店舗目はイタリアに」という壮大な夢だ。仕組み的な難しさはありながらも、その想いは今も、心のどこかに残っている。
6. この街「神戸」への想い
仲井氏は、神戸生まれだが、元町や三宮からは少し離れた場所で育った。「マイナーな場所ですけどね」と笑うが、生まれ故郷への愛着は深い。
店を開くにあたって、東京も選択肢にあった。「ビジネスとして考えたら、絶対に東京のほうがやりやすい。イタリアンの人気や人の数がそもそも違いますから。」それでも神戸を選んだのは、生まれ育った土地であり、家族やつながりが、ここにあるからだった。
仲井氏は街を見つめて語る。「いい街なんです。ただ、大阪なんかと比べると、同じ人がぐるぐる回っている感覚があって。もっと、各地から来た人で街が賑わうようになればいいな、と思うんです。」
海も山も近く、特別な魅力を持つ街なのに、「観光で来ても、することが特にない」と言われがちなのが、もったいない。新しい施設の話も耳にするが、土地の特性として、街をこれ以上広げるのは難しい。だからこそ、「今ある建物の中で、いかに盛り上げていくか」が鍵だと考えている。流行りの店が増えれば、街には自然と活気が生まれる。その一軒に、自分の店もなれたら。そんな思いが今は静かに燃えている。
かつて、元町の高架下やセンタープラザには、もっとたくさんの店が並んでいた。学生の頃から通っていた、あの独特の空気感を、仲井氏は今も覚えている。
本場イタリアで磨いた腕と、地に足のついた店づくりへのまなざし。派手さよりも、目の前の人を大切にする。その積み重ねの先に、仲井氏は「神戸の名店」の姿を見据えている。
鯉川筋の隠れ家から、本物のイタリアンが、根を張りはじめた。
店名:da Ypsilon(ダ・イプシロン)
住所:兵庫県神戸市中央区北長狭通4-3-24 アオイ神戸元町ビル 2F
【営業時間】
火/17:00-22:00(L.O. 21:00)
水・木・金・土・日・祝日/12:00-15:00(L.O. 14:00)17:00-22:00(L.O. 21:00)
月/定休日
予算:昼¥2,000~¥2,999/夜¥6,000~¥7,999
席数:19席(カウンター5席/テーブル14席)













