三宮と南京町に店を構える「長田タンク筋」。鉄板の上でパラパラに焼き上げたそばめしに、スタッフが目の前で牛スジぼっかけをかける。続いて、甘口から激辛まで並んだソースの説明が始まる。「長田タンク筋」は2008年7月7日、三宮・さんプラザの地下に生まれた、そばめし・そば焼・モダン焼の専門店だ。屋号は、かつて長田区にガスタンクが並んでいた通りの、地元の人だけが使う呼び名からとった。2024年には南京町店を開き、いまは2店舗を構える。運営する合同会社ヒュドラーの代表・安井一惠氏は、元看護師。飲食の経験はまったくなかった。始まりは、生まれたばかりの長男を背負って、駅前のたこ焼き屋へ走ったある日のことだという。人から人につながる味への想いと、この街で過ごした日々への想いを伺った。

合同会社ヒュドラー 代表 安井一惠氏(※長田タンク筋 三宮さんプラザ本店前にて)
1. お店を始めたきっかけ
長田タンク筋の物語は、1995年1月17日にさかのぼる。
安井氏の夫・安井秀哲氏は、神戸市長田区の生まれ。阪神・淡路大震災では、激震地となった長田で被災。街が崩れ、焼けていくなかで、秀哲氏が目にしたのは、人々のたくましさだった。
「みんな、プロパンを引っ張り出して、鉄板を引っ張り出して焼いて。『持って行きなさいよ』『みんなで食べようよ』って。主人は、そのとき食べ物のパワーっていうのを、すごく感じたらしいんです。」
秀哲氏はその後、貿易などの仕事に就く。一惠氏は、看護師をしていた。
「まさか自分が飲食をするなんて、思ってもみませんでした。」
結婚して、秀哲氏から震災の話を聞いた。いつか食べ物で、神戸のために何かできることをやりたい。子どもが生まれると、その思いは「子どもに神戸の食文化を教えてやりたい。」という形になった。ただ、それは夫の思いだった。
「私は全然その気がなくって。公務員でいいじゃないか、ぐらいの気持ちだったんです。」
ところが、最初の一歩を言い出したのは、一惠氏のほうだった。
「逆にね、私は飲食をまったく経験してないから、飲食が大変だとか、そういう先入観がなかったんですよ。もっと簡単にできると思ってて。たこ焼き屋から始めたらいいんじゃない? たこ焼きぐらいやったら、私、家で焼いたことあるからできるんじゃない?って。本当に、すごい軽い感じでした。」
関西育ちだから、家で焼く“たこ焼き”なら作れる。だが、商品として焼くとなると話は別だ。粉はどこで買うのか。タコはどうするのか。わからないことが、次々と出てくる。
当時、近所の駅前では、週末になるとたこ焼きの屋台が出ていた。
「とりあえず聞いてこよう、と。でも、ただ聞きに行くだけやったら教えてもらえないんじゃないかと思って、ちょっと演技をしようと(笑)。ちょうど長男が生まれたばかりの赤ちゃんだったので、大急ぎで背中におぶって、走っていって。『いつも買ってるここのたこ焼きが美味しいから、子どもを育てるために教えて欲しいです』って。」
屋台の主人は、いかにも関西のおじさんだった。
「『よっしゃ、任しとけ』って。『姉ちゃん、明日の朝9時か10時に、ここ来い』って言われて。行ったら、『今から、俺が材料をどこで仕入れてるか、全部回ったる』って。粉からタコから、たこ焼きの鉄板はどこで買えとか、全部回って、全部教えてくれたんです。びっくりしましたね。」
「姉ちゃん、頑張れ」。その言葉に送り出されて、一惠氏はたこ焼きを焼き始めた。
2003年ごろ、六甲道に物件を見つけ、たこ焼き店「神戸一哲」を開く。始めてすぐに、飲食で利益を出すことの大変さを思い知った。それでも、それを上回るものがあった。
「作ったものをお客様に提供するって、こんなに大変なんだと気がつきました。でもね、感謝されるんですよ。この喜びに、痺れましたね。『ありがとう、美味しかった』って言われて、え、どういうこと?って。」
「家族以外に『美味しかった、ありがとう』って言ってもらえる機会って、ありますか? ないんですよ。初めて会った人が、私が作ったものを食べて『いや、美味しかった。また来るわ』って。本当に?って。あの痺れた感覚が、私の原点ですね。」
客やスタッフから「焼きそばの方が楽ちんやで」「お好み焼きは焼かへんの?」と言われれば、焼いてみる。そうやって、品目を少しずつ広げていった。
2008年、三宮・さんプラザの地下に空き区画が出た。
「本当に軽い気持ちで、ここいいかなって。周りからは、どないすんの、っていろいろ言われましたけど、私は結構のんきな性格なんで。何とかなるんちゃうかなと。」
店名には、夫の強い思いが込められた。秀哲氏が生まれ育ったのは、長田の「タンク筋」と呼ばれる通りの近くだった。震災前には大阪ガスのガスタンクが並んでいた通りで、妹尾河童氏の『少年H』にも登場するという。地図には載らない、地元の人だけが使う呼び名である。
「たこ焼き屋さんではできなかった、ソース系のお店、お好み焼きのお店をやるときには、どうしてもこの名前をつけたいって。笑われましたけどね。」
本店の屋号マークには、工業用のガスタンクがデザインされている。
「そういうお仕事の方はすぐわかるみたいで、『これガスタンクやろ』って。わかります?って言ったら、『俺ら、そういう仕事やねん』って(笑)。」
「本当は、タンク筋そのものでお店を出せたらいいんですけど、お客さんの流れとか、認知度を上げていきたいと考えたら、神戸の中心地の三宮は外せなかった。でも、主人が生まれた長田の場所を、名前だけは残したい、引き継いでいきたい。それが店名の由来なんです。」

店内はレトロな風情も楽しい「長田タンク筋 三宮さんプラザ本店」
2.こだわっていること
三宮に出るにあたり、一惠氏は勝負どころを一点に絞った。
「普通のお好み焼き屋さんだったら、私たちにはキャリアも実績も歴史もない。だったら、振り切ろうと。」
振り切った先が、そばめしだった。お好み焼き店のメニューのひとつとしてではなく、そばめしそのものを店の看板に据える。当時のそばめしは、地元の人がたまに食べる程度の、まだマイナーな存在だった。
「そばめしに振り切るっていうこと自体は、結構迷いましたけど、もうここに振り切ろうと。長田タンク筋=そばめし、で覚えてもらおうと。」
もうひとつ、型破りなことをした。ぼっかけの扱いである。ぼっかけは、牛スジとこんにゃくを甘辛く煮込んだ長田の名物。そばめしに使うときは、具材として混ぜ込んで焼くか、お好み焼きに挟むのが一般的だった。一惠氏はそれを、焼き上がったそばめしの上から、客の目の前でかけることにした。
「すんごい反対されましたよ。飛び散る、とか、味が混ざらない、とか。そんなの見たことない、って。でも、見たことないからいいんちゃうかなって。」
「やってみないとわからないじゃないですか。元々のんきな性格なんで、やってみて駄目なら変えたらいい。やるだけやってみよう!って」
これが、県外からの客に大いに受けた。
「今で言う“体験型”を、いち早く取り入れたっていう。後付けなんですけど(笑)。正直、そこまで計算はしてなかったです。」
「ただ、他とは違うことを何かしないと、知ってもらえない。わかってもらうためには、目の前で焼いたそばめしを出して、上から牛スジとこんにゃくをかける。」
ソースにも仕掛けがある。開店当初から続く「ソースソムリエ」だ。長田の地ソースから店オリジナルの激辛まで、卓上のソースをスタッフが必ず説明する。甘い、甘酸っぱい、めっちゃ辛い。
「お客さんと必ず喋る。これは、スタッフに強要しました(笑)。そうすると、お客さんも『すごい』って言ってくれて、会話が生まれる。スタッフが喋るきっかけができるんです。だから、きっかけ作りのために喋ってこい、と。」
「ソースソムリエっていう言い方も、お客さんの前でぼっかけを上からかけるのも、もしかしたらどこかにあったかもしれません。でも、それをお店のウリとしてやったのは、たぶんうちが初めてやったと思うんです。SNSみたいな媒体がない時代に認知度を上げるには、体験型しかなかった。それはそれでよかったのかなと思います。」

ソースや日本酒でスタッフとの会話も広がる「長田タンク筋 南京町店」
看板のそばめしを支えるのは、素材だ。ホルモンもネギも、できるだけ兵庫県産を使う。驚くのは、その仕入れ方である。
「たぶんびっくりされると思うんですけど、食材の8割は、私が直接行って仕入れてきてます。」
八百屋も肉屋も、10数年来の付き合いがある店ばかり。肉は決まった2?3軒から入れ続けている。業者に任せて持ってきてもらうことはない。
「地域のつながりですよね。昔からのお肉屋さん、八百屋の社長さん。そういうところとずっと一緒にやってます。」
牛スジは、昔に比べて手に入りにくくなった。コロナ禍の前からは、関東の大手にも協力を仰いでいる。まとまった量が入ったら、大阪の取引先から連絡が来ることもある。
「結局、それも人とのつながりなんですよね。」
キャベツなどの野菜は、値段の変動が大きい。それでも、長く付き合っていれば何とか集めてくれる。
「ある程度高くても、そこでしか買わないんです。安くなったときに、どこそこが安いからそっちで買おう、っていうのはしない。値段がそのままでも、必ずそこで買う。それはずっと続けてます。」
「そうなってくると、連帯感ができてくるんですよ。連休前やったら、『いつものキャベツ、これだけいるんちゃうか』って。『ネギも多分いるやろ、ちょっと多めに取っといたで』って、電話がかかってくる。よくわかってくださってます。」
「安ければ安いものを買ったらいいのかもしれない。経営としては、それが正しいのかもしれないですけど。地域でお店をやるには、やっぱり関係性が大事かなと思うんです。」
酒も同じだ。日本酒は、基本的に兵庫県の酒しか置かない。そして、その酒蔵を自分の足で回る。
「回って、喋って、そこで買って帰ります。お好み焼き屋をやってるんですけど、兵庫県のお酒しか出したくないんで、どれがおすすめですか?って、蔵の社長さんと喋ってきます。そういうのが好きなんだと思います。」
そして、スタッフが身につけているエプロンも、取引のある酒蔵のものだという。

食欲をそそられる要素が盛りだくさんの「牛スジぼっかけそばめし」
3. スタッフとの関係で大切にしていること
長田タンク筋では毎年、スタッフ研修として旅行に出かける。対象は、1年以上勤めたスタッフ全員。アルバイトも社員も一緒だ。目的は、ほかの地域の名物とお好み焼きを食べること。今回は、四国・高知を訪ねた。その前は2回続けて広島だったという。
「県外に行って親睦を深めるっていう理由もあるんですけど、それぞれに感じたことや感想を、そのときにいろいろ聞かせてもらうんですよね。店舗の中だけじゃなく、外に出たときに発見があったり、つながりができたりするので。」
酒蔵めぐりにも、スタッフを連れていく。
「とりあえず飲みに行こうって。せっかくなんで飲ませてもらいながら、酒蔵も見せてもらって。大学生の子たちって、酒蔵とか、その歴史とかに興味を持つ機会がなかなかないでしょう。でも、実際に行ったら話を聞くのも楽しいし、その場で飲むのも楽しいんです。」
その経験は、店に戻ってから生きる。
「お客さんの前に出たとき、『この前、僕そこの酒蔵行って、これ飲んできたんです。すごい美味しかったですよ。』って、フィードバックできるじゃないですか。」
スタッフの誕生日会も欠かさない。
「もちろん、みんなが仲良くなる目的もあるんですけど、仕事にフィードバックできるんですよ。お客さんに『今日誕生日なんです』って言われたとき、自分が誕生日を祝ってもらって嬉しかったら、どう対応できるかを考えられるようになる。」
「体験して、嬉しい・楽しい・美味しい、よかった。っていうことは、人にもやってあげたくなるはずなんで。」
仲の良さを大事にする理由は、もうひとつある。
「私ひとりで2店舗を回せるわけじゃないので。みんなで助け合いができるんですよね。『熱が出てしまって、すみません、誰か代わってください。』って言ったら、『はい、俺行きます。』って。単純に、一緒にご飯を食べて・一緒に旅行に行った仲間っていうのは、すごく助け合うんですよ。一緒に働いてるだけでは、人となりとか仲間意識って、なかなかできない部分がある。一緒にご飯を食べると、本当に仲間意識ができるんです。」
また店には、OB・OGがよく顔を出す。
「『僕のこと覚えてますか?』って。ごっついおっさんになったなあ、あのときかわいかったのに、とか(笑)。それが、お店をやってて一番嬉しいことのひとつですね。」
一惠氏はそれを、自分への愛着だけでなく、店への愛着だと受け止めている。
「私がいなくても来てくれてるみたいで。俺ここで働いてた、私ここで働いた、っていうプライドと愛着。そういうのが培われてるんだと思います。」
「私が長田タンク筋を続けていく原動力は、過去に働いてくれたアルバイトの子が、10年、15年、20年経って来てくれたときに、お店があり続けていること。」
「久しぶりに見た子が『子ども連れてきました』って言って来てくれるんです。ちょっと待ってよ、って、すぐお小遣いあげてしまう(笑)。」
客の「ありがとう」、スタッフの「ありがとう」、業者の「ありがとう」、そして家族の「ありがとう」。
「いろんな『ありがとう』が溜まってくるんですよ。たぶん私は、その『ありがとう』に支えられて、ずっとやってきてるのかなと思います。『ありがとう』の集約が、長田タンク筋の中に詰まってるんですよね。」

メディアにも取り上げられる「モダン焼」はボリュームたっぷり
4. 印象に残るお客様とのエピソード
2023年、長田タンク筋は千葉で開かれた野外音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に出店した。現地の応援スタッフと合わせて10数人の体制。一惠氏は、自分を支えてくれる腹心のスタッフ3人を神戸から連れていった。
フェスの1週間ほど前、千葉から来た客が店を訪れていた。対応したのは、腹心のひとりだった。
フェス前半の初日を終えた夜、打ち上げに出かけた。千葉は町中華や居酒屋がうまいらしい。居酒屋の店主においしい町中華を教えてもらい、足を運んだ。すると、その店の客に声をかけられた。
「『どうして長田タンク筋がここにいるんだ』って。」
「そしたら、うちの腹心が『1週間前に来て、1番テーブルに座ってたお客さんですよね』って。『レモンチューハイのウルトラと、ホルモン炒めを食べてたお客様ですよね』って。」
客は「嘘でしょ」と目を丸くした。一惠氏は、スタッフから聞いたとおりに、まるで自分も覚えていたかのように話を合わせた。
「『覚えてくれてたんや』って。」
「その方は家が近くて、町中華の常連さんだったんです。『びっくりしたよ、長田タンク筋の制服を着た人がいっぱい入ってくるから』って驚いてました。」
「すごく感激してくださって。こんなところで出会える奇跡はないって。たまたま仕事の出張で、初めて神戸に行ったときに食べて、うまかったなと思って帰ってきたら、これだから、って。」
「『来月も行くよ』って言ってくださって。嬉しかった。」
ちなみに、その町中華の大将が、実は神戸出身だったというのも面白い。
「飲食業をしてたから出会える奇跡っていうのを、私は本当に体感させてもらってるんです。この店の名前を皆さんが知ってくれたから、大きなイベントにも出られて、関東の学生アルバイトの子たちとも出会えた。その子たちが、こっちに旅行に来たとき『食べに来ました』って、お土産を持ってきてくれたり。すごい感動します。」
「飲食を始めたときもそうなんですけど、自分の興味で出たんじゃなくて、本当に巡り合わせ。お店をやるなかで全て、何をするにしても、巡り合わせに支えられてるんだなって、しみじみ感じてますね。」
そして、もうひとつ。一惠氏が「泣きそうになるんですけど」と言いながら話してくれたのは、ひとりのおばあさんのことだった。
たこ焼きからお好み焼きに品目を広げていたころ、一惠氏には“師匠”と呼ぶ人がいた。長田のお好み焼き店の店主で、年配のおばあさん。厳しい人だった。
「教えてください、弟子入りしたいです。って言ったら、『帰れ』って言われました。でも、帰れって言われて帰るわけにもいかないでしょう。お客さんとして食べに行ったら、帰れとは言われへんから。ひと月、定休日以外は毎日通いました。」
「行っても嫌な顔をされるんですよ。また来た、みたいな感じでチラチラ見られて。ちゃんとソースも隠されるんです。」
「でもね、びっくりするのが、通っているうちに使ってるソースを見えるようにして隠すんですよ。でも、教えてはくれないんです。」
一惠氏は毎日食べながら、その手元を盗み見た。これ美味しいわ、どうやってるんやろう?を持ち帰っては、自分で試した。
「一般で言う修行というには、あまりにも稚拙な修行ではあるんですけど。当時の私としては、本当に真剣だったんです。」
三宮で店を開いたあと、そのおばあさんが店に来てくれた。長田から三宮まで、ご飯を食べに来たのは初めてだったという。
「ひとくち食べて、『美味しないけど、私のに似てるやん』って。それは、ぐっときますね。結局、全部食べてくれました。」
来てくれたのは、その一度きりだった。一惠氏も、改めて礼を言いに行くような性格ではない。ただ黙って、何度か食べに行った。その年、おばあさんは大晦日に亡くなった。99歳での大往生だった。
「師匠って言うのもおこがましいし、レシピって言うにはあまりにも稚拙なんですけど。あのときの若さと図々しさがあったから、できたのかなと思うんですよね。だから、長田タンク筋は私の図々しさの賜物です(笑)。」

人とのつながりから生まれた「長田風お好み焼き」は思い出と共にあり続ける
5. これからやってみたいこと
研修旅行で訪れた高知、スタッフたちが口をそろえたことがある。
「神戸って、名物がぼんやりしてるよね、って」
広島は市を挙げてお好み焼きを打ち出している。高知には「ひろめ市場」がある。建物の中にたくさんの店が集まり、客はそれぞれの店で名物の酒や料理を買って、ずらりと並んだテーブルで食べる。
「合同型の居酒屋みたいになってるんです。屋台村にも近いんですけど、もう、いろんなお店がギチギチに入ってて。スタッフみんな、『こういうのが神戸にあったら、絶対に行く』ってすごく言ってて。海外の方もたくさん来られてました。漁業の団体とか商工会とか、いろんなところが一体になってるんだと思うんです。」
その一体感が神戸には少ない、と一惠氏は感じている。
「例えば、そばめし屋さんを調べたら、うちがトップに出てくる。それはすごくありがたいんですけど、神戸のことを考えたときに、果たしてそれでいいのかなと思うところはあるんです。」
観光客からは「もっとお好み焼き屋さんやそばめし屋さんのお店が集まっていると思ってた。」と言われることがある。
「神戸牛以外だと、ちょっと弱いのかなって。神戸でもハンバーガー屋さんなんかは、みんなで集まってコラボイベントをやったりしてるんですけど、お好み焼き屋のコラボイベントって、聞いたことがないんです。立ち飲み屋さん同士のイベントもあるでしょう。正直、すごく羨ましいなと思ってて。」
お好み焼き店の多くは、それぞれが単独で営業している店も多い。若い店主同士のつながりはあっても、お好み焼き店全体、そばめし店全体としては見かけない。
「そばめしって神戸の発祥でしょう。テレビでも取り上げられるB級グルメなのに、そういうのがないんです。」
そこで描いているのが、お好み焼き店やそばめし店をめぐるスタンプラリーだ。
「ひろめ市場みたいな規模になると、なかなか難しいと思うんです。でも、マップを作ったり、スタンプラリーをしたり。500円のチケットを綴じたチケットブックみたいなのを作って、名物を食べて回るとか。観光もしながら、食も楽しめる。そんなにお金をかけなくても、できるんじゃないかなと思うんですよね。スタンプラリーがあったら、3軒ぐらい回ってみようかな、っていう人は出てくると思うんです。」
異業種とのつながりも、もっとあっていい。
「そばめしを食べたあとに、どこかカフェに行きたいな、コーヒーショップに行きたいな、って言われたとき、スラッと言えるかどうか。みんなで盛り上げていこうっていうのであれば、異業種同士の交流会がもっとあってもいいと思う。実際、私は20年お好み焼きをやってきて、そういうところに声をかけてもらったことが、あまりないんです。個人的につながることはできるけど。つながるためのイベントとか、そういうのは神戸は特に少ないんじゃないかな。」
「コラボイベントとか、ちょっと大きな集まりをするだけで、いろいろな発信ができると思うんです。それぞれのお店が全国に向けて発信できるような。お金をかけなくても。」
もうひとつ、次の世代に向けて考えていることがある。
「たぶんこの先、私より下の20代、30代の若い子たちが、飲食をしてみようかな、お好み焼き屋さんをしてみようかな、っていうときには、できたら同じことをしたいなと。教えられることは教えてあげたいし、助けられることは助けてあげたい。ノウハウも、別に隠すようなものはないですから。それは、自分がしてもらったからだと思うんです。」
「正直、10年前はそんなことは思っていなかった。本当に必死だったんで。20年という年月が、何か貢献したいなと思えるように、私を成長させてくれたんじゃないかと思ってます。」
6. この街(神戸)への想いを聞かせてください
「私は元々、神戸で生まれ育った人間ではないんです。」
一惠氏は、結婚を機に神戸へ移り住んで20年あまり。子どもたちは、神戸で生まれ、神戸で育った。この先、神戸の文化を持って神戸を出ていくのか、神戸に残るかはわからない。
「でも、神戸っていうところで育っているなかで、次の世代にどういう街を渡せるか。私はやっぱり、親の視点で考えちゃうんですよね。」
店では、いつも音楽を流している。業者に料金を払い、曲を選んでかけている。そのなかに、いつも流している歌がある。阪神・淡路大震災のあと、神戸の小学校の先生がつくった「しあわせ運べるように」だ。
「兵庫県の子は、みんな歌えるのかな。兵庫県内の人は『これ、あれやね』って言ってくれるんです。スタッフも『小学校からずっと歌ってました』って。それを聞いて、県外のスタッフや県外のお客さんが、『この歌、いつもかかってるけど』って興味を持ってくれたりするんです。」
「そういう部分での神戸とのかかわりは、仕事をしながら常に思っています。それは、自分たちの子どもの、次の世代に引き継いでいきたい。インバウンドは京都や大阪がメインで、神戸はちょっと少ない、って言われるのは寂しい。インバウンドや他府県のお客様を呼べるような、神戸でやる兵庫県でやるフェス的なものとか、つながりとかっていうのは、これからやってみたいビジョンとしてあります。」
「せっかくいるんだから、みんなで盛り上げる。っていう単純な思いなんです。神戸って、本当に素敵なお店がたくさんあるんです。」
神戸に来たばかりのころの自分を、一惠氏はこう振り返る。
「最初のころは、よそ者気分もありました。でも、ここまできて、やっと神戸人になったんだなって。」
「神戸の飲食、神戸のグルメを盛り上げていかないとダメだな、っていう思いになれたのは、年数を重ねたからだと思うんです。自分の店だけが盛り上がったらいい、っていうのは、昔はありましたよ。でもそれ以上に、何かフィードバックしていけたり、貢献していけたり、もっと神戸を盛り上げていきたいっていう思い。それは、自分が本当に神戸人になったんだな、っていうことなんじゃないですかね。」
「もちろん、自分のお店を守ることは、自分のスタッフを守ることでもあるから、それはもう大前提。プラスアルファが、年齢を重ねた自分にできればいいかなと思っています。」
震災のとき、人々が鉄板を引っ張り出して焼いた食べ物の力。夫が語ったその記憶は、赤ん坊を背負って屋台へ走った妻の“図々しさ”によって、一軒の店となる。
客の目の前でかけるぼっかけと必ず交わすソースの会話、従業員の旅先でのふれあい。長田タンク筋がしてきたことは、どれも人と人をつなぐきっかけづくりだった。
地元の人しか使わなかった通りの名は、いまも三宮と元町の看板に残っている。
「美味しかった、また来るわ」に痺れたあの日から20年あまり。一惠氏はいま、自分の店のそばめしだけでなく、みんなで名乗れる神戸の「名物」を背負い、この先を見据えているのだろう。
■ 会社情報
会社名:合同会社ヒュドラー(長田タンク筋事業部)
代表者:安井 一惠
事業内容:飲食店「長田タンク筋」の運営(そばめし・そば焼・モダン焼専門店)
TEL:078-962-6868
https://www.instagram.com/nagatatanksuji/
■ 店舗情報
店名:長田タンク筋 三宮さんプラザ本店
所在地〒650-0021 兵庫県神戸市中央区三宮町1-8-1 さんプラザB1F-20
TEL:078-962-6868
オープン:2008年7月7日
営業時間:11:00〜22:00(L.O. 21:30)/火曜のみ 11:00〜15:00
定休日:火曜
アクセス:各線三宮駅から徒歩約3分
席数:18席
業態:そばめし・そば焼・モダン焼/鉄板焼・お好み焼き
主なメニュー:牛スジぼっかけそばめし/ぼっかけそば焼/新・長田モダン焼「満月」/広島焼風ぼっかけそばめし(通称:金本)/瀬戸内カキのそば焼(10月〜4月中旬) ほか
備考:貸切を除き予約不可
https://www.instagram.com/nagatatanksuji/
店名:長田タンク筋 南京町店
所在地:〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通2-2-14 サンライズ中山手1A
TEL:078-954-6051
オープン:2024年
営業時間:平日 17:00〜23:00(L.O. 22:30)/土・祝前日・祝後日 12:00〜23:00(L.O. 22:30)/日・祝 12:00〜22:00(L.O. 21:30)
定休日:火曜(予約により営業する場合あり)
アクセス:元町駅から徒歩約4分
席数:35席
備考:予約・貸切可(営業時間外の貸切も相談可)













