JR三ノ宮駅から西へ。センタープラザ西館の地下一階、旧三宮市場の面影を残すこの場所では、昼になると行列が伸びる。1979年創業、神戸三宮発祥のかつ丼専門店「かつ丼吉兵衛」。玉子とじ・ソース・韓辛味噌マヨ・カレーを柱とし、神戸から西宮、大阪への出店、そして2025年には東京・池袋へと歩みを広げている。合言葉は「かつ丼で活力を」。創業者である父の店を受け継ぎ、2010年に法人化。組織としての吉兵衛を新たに構築してきた二代目・上林守氏に、伝統のかつ丼に込めた想いと、この街への想いを伺った。

株式会社吉兵衛 代表取締役 上林守氏
1. お店を始めたきっかけ
伝統は上林氏の父・勉氏から始まる。神戸市東灘区青木の出身。中学を卒業すると同時に料理の世界へ足を踏み入れ、日本料理の修業に打ち込んだ。
「本当に、包丁一本を持って全国を回っていたそうです。住所不定みたいなもので。」
修業を終えて戻り、1976年11月、西宮市六湛寺町に定食と丼の店を開く。だが商売は思うようにいかない。魚の行商もしながら食いつないでいたある日、中央卸売市場の紹介で、旧三宮市場、現在のセンタープラザ西館地下に入る話が舞い込んだ。
1979年8月、市場の南筋に「天丼専門店 吉兵衛」が開店する。同じ年の11月、北筋に「かつ丼吉兵衛」が並んだ。当時の店は、1坪弱にカウンター6席。ここが、いまに続く原点である。
まだ20代だった勉氏は、次々に店を増やしていく。天丼、かつ丼、そしてやき鳥風の「とり丼」。一時は三業態を並べていた。だが、職人と商売人のあいだには、越え難い線がある。片腕として働いてくれていた従業員との間に少しずつ、すれ違いが生まれた。
「親父はやっぱり職人なんです。一つのやり取りでも『自分でやったほうが早い』というところがある。」
1988年、勉氏は天丼吉兵衛を従業員に譲り、かつ丼一本に絞った。譲った店は、いまもセンタープラザで暖簾を守り続けてくれている。
なぜ、かつ丼だったのか。理由は、勉氏の姉の一言にあったという。勉氏は、もともと商人の家系だった。竹屋、その前は問屋、さらに遡れば寺子屋。ただ、面白いことに誰ひとり親の商売を継いではいない。
「姉から『職人になるんじゃなくて、商売人になれ』と言われたそうです。商売なら、流行り廃りがあってはいけない。だから大衆食がいい、と。それで天丼、そこからかつ丼になった。」
その選択は、半世紀を経て正しさを証明している。
「めちゃくちゃいいときがあるわけでもなく、めちゃくちゃ悪いときがあるわけでもない。コロナのときも多少は下がりましたけど、デリバリーやお持ち帰りでご利用いただけました。」
そして、二代目につながる。上林氏は次男だ。兄は建築の道へ進み、設計士として活躍。いまでは東京の大学で教壇にも立っている。
「僕は昔から親父の背中をずっと見て育ってきたので、なんですかね、世間知らずというか。継ぐもんやと思って育ってきたんです。」
高校卒業のとき、すでに「継ぎたい」と口にしていた。両親は「大学は行ってほしい」と言い、その願いを聞いて進学する。ところがその途中、勉氏が長年の立ち仕事で股関節を痛め、足を引きずるようになった。「手伝おう!」そう決めて現場に入り、卒業と同時にそのまま一緒に働き始めた。
「なので、よそを知らないんですよ。よその店で働いたことがない。」
仕込みは朝4時半から。同じことの繰り返しを、家族で回す日々。どう継いでいこうかと考え続けた。ただ、勉氏は一度も「継げ」とは言わなかった。
「親父は自分の代で終わらせようと思っていたんです。逆に、子どもが継ぎたいと言い出しても『とりあえず続けろ』とも言わなかった。無理やり継がせてくれ、みたいな感じでしたね。」
2010年4月16日、株式会社吉兵衛を設立。同年10月には2号店・旭通店を開く。会社を作ったとき、社員はゼロだった。
「事業承継なんですが、気持ちとしては創業みたいな感じです。親父から商売を譲り受けて、法人化したのが2010年。」
上林氏はこう続けた。
「親父のレールに一緒に乗っていても、ずっと同じレールの上を行くだけなんです。だから、親父がやってきたことは大切にしつつ、その横に自分のレールを引かせてもらう。並走しながら、ときには『僕はこっちの目的地に行きたいんだ』と言って進んでいく。そういうやり方もあるなと。」

センタープラザ西館の地下に構える現在の「かつ丼吉兵衛 三宮本店」

1979年、創業当時の「かつ丼吉兵衛 三宮本店」。
2.こだわっていること
看板メニューの主役は、豚の肩ロース。1号店の一杯目から、ずっと変わらない。
かつては国産豚を使っていた。だが店が増えるにつれ、無理が出てくる。
「うちが『肩ロースだけちょうだい』と言っても、肩ロースには限りがあるじゃないですか。お肉屋さんとしては、他の部位までさばけるようにならないと難しい。」
現在は、日本の商社を通じて、海外のブランド豚を使用している。コロナ前はカナダを指定していたが、いまはリスク分散のため、カナダ・アメリカ・メキシコの中から選定してもらう。もともとは、肉質がもちっとした「もちぶた」を使用していた。三元豚のように掛け合わせで名乗るのではなく、肉質そのものを基準に選び抜いてきた系統だ。提案を受けた肉は、上林氏と父、そして営業部長の目を通してから採用する。
ただ、海外に軸足を置くからこそ、社会情勢が直に響く。
「昔は中国が強くて、日本が買い負けているというのもありました。日本は安く仕入れようとするけれど注文が細かい。中国は何も言わずに高値で買っていく。売り手としては、、、そうなりますよね。」
港湾のストライキ、海峡の緊張。毎年、何かが起こる。おまけに、かつ丼は値上がりニュースの主役が全部そろった一杯でもある。
「米の値上がり、卵も値上がり、小麦まで値上がり、肉も油も、と続く。全部かつ丼の食材なんですよね。」
そのうえで、肩ロースには別の難しさがある。上林氏はそれを「一期一会」と呼ぶ。
「肩ロースは筋がいっぱい通っていますし、屠畜したあと逆さまに吊るので、血が溜まりやすい場所でもあるんです。だから全部違う。今日は柔らかくて美味しい、今日は少し硬い、ということが起こる。」
同じブランドの、同じ部位でもそうなる。だから標準化しづらい。
「肩ロース一本で勝負している大手チェーンはないと思うんです。それだけ不安定な部位なので。」
昔は、その不安定さゆえにインターネットで叩かれたこともあった。答えとして選んだのは、説明ではなく比較だった。いまは肩ロースと背ロースの両方を用意し、お客様に選んでもらえるようにしている。
「これはこういう味なんだよ、こっちはこういう味なんだよ、と。お好みに合わせて選んでいただければと思っています。」
肩ロースは噛めば噛むほど味が出る、肉々しい食感。背ロースはあっさりとして食べやすい。ちなみに背ロースは肩甲骨から腰までの長い部位で、肩に近いほど脂が乗り、腰に向かうほど淡くなる。その間にあるリブロースが、とんかつ屋で「上ロース」と呼ばれる部分だ。かつては肩ロースのほうが安かったが、いまは逆。脂の乗った部位を世界が競って買う時代になった。

肩ロースのかつ

背ロースのかつ
また、パン粉にも専門店としての判断がある。
「うちはとんかつ屋ではないので、生パン粉は使わないんです。サクサクして美味しいですけど、出汁に入れて炊くと生パン粉はすごく吸ってしまう。だからドライパン粉。炊きすぎると良くないですが、比較的サクサク感が残るように工夫しています。」
玉ネギを使わないこと、門外不出の天然だしを守ること。製法は、基本的に父の代からほとんど変わらない。
「飲食は味覚だけじゃないですよね。五感全部のバランスがそろって『美味しい』になると思うんです。」
こだわりは、引き算にも表れる。食材は少なく、食器も少なく。これも勉氏の時代から続く教えだ。レギュラーメニューは玉子とじ、ソース、韓辛味噌マヨ、カレーの4種類。
「この4つは不動です。変えるつもりもないし、ここから増やしていこうというのもあまりない。」
代わりに、季節の期間限定で話題をつくる。夏の看板は「ひやだしかつ丼」。揚げたてのカツに冷たいだしを注ぎ、丼の縁に添えた柚子胡椒で涼味を演出する一杯で、数ある期間限定の中でもずば抜けてよく出るという。
もっとも、この商品には冷や汗の思い出もある。ひつまぶしから着想し、「かつまぶし」という名前で行くつもりだった。
「全部そろえて、さあプレスリリースだというとき、ちょっと待てよと思い商標を確認したんです。持っている企業さんがいた。それで名前を変えました。」いまでは笑い話になっている。
そして、空間と立地。ここにも明確な意図が仕込まれている。
「将来的にフランチャイズ展開もしたいと考えていました。そうなったとき、どういう立地で出したいのか。だから初期に、いろんな立地に出して経験したかったんです。」
本店は地下市場のインライン、2号店は東側のロードサイド、3号店はハーバーランドの地下のフードコート、4号店は繁華街の商店街。教科書ではなく、自分たちの手で確かめてきた。
「結局どこがいいんだろう、と。本を読んで『こうしたらいいんかな』という感じで。いっぱい失敗もしています。」

吉兵衛の主力となる4本柱のかつ丼
3. スタッフとの関係で大切にしていること
いまのテーマを尋ねると、返ってきた言葉は「再現性」だった。
「うちは多店舗展開なので、再現性なんですよね。うまくいっていることを横展開できるか、誰でもできるか。そこを大切にしています。」
理由は、原点にある。父がひとりでかつ丼を作っていた時代、父以外の人が作るとお客様は不満を覚えた。属人的であることは、強さと弱さを同時に抱えている。
「一人のスタッフに依存せず店をやろう、そして店のファンを増やしていこう。そう考えて店舗展開を始めたんです。」
その先で行き着いたのが、「企業とは何か」という問いだった。
「屋号とか商品じゃないと思うんです。吉兵衛やかつ丼は企業ではない。企業ってやっぱり、そこで働く人の思いであったり、経験や知識であったり、総合力をどれだけ発揮できるかということなので、人だと思うんです。」
株式会社吉兵衛が理念として掲げているのは「価値ある商品と心で、次なる活力を1人でも多くの人に提供し、社会活動を支えること」だ。
合言葉の「かつ丼で活力を」は、この理念をできるかぎり分かりやすくした言葉でもある。
また来店される方「1人ひとりに活力を届ける」ことを企業の使命とし、上林氏からも従業員に熱く伝えている。
「もうこれしか言えないですよ。毎週の社長メッセージも、なんやかんや言って最終的にはそれしか言ってないです。」
かつ丼の「かつ」は活力の「活」、「どん」は丼。新しい店を出すときも、その一点に立ち返る。
体制も、その言葉に合わせて組み替えてきた。現在は管理部長・営業部長の体制。まず管理部をつくり、数字を管理する土台を整えた。採用も教育も評価も、これまでは二人が担ってきた。だが、キャパシティには限りがある。
「だから、人のプロフェッショナルが欲しいと思って。人事を担う責任者も、ちょうど迎えたところなんです。」
募集、採用、教育、評価まで一気通貫で見る部署をつくる。パート・アルバイトを含め100名を抱える会社にとって、大きな一歩だ。
飲食は「何かをやれば何かが足りない」仕事だと、上林氏は率直に語る。ゼロをクリアにするだけでも、相当なエネルギーが要る。それでも広げる道を選ぶ理由は、はっきりしている。
「1店舗で深めていく価値観も素晴らしいし、広げていくのもいい。僕はどちらかというと後者なんです。店舗を広げるといろんな人と関わりが増える。それだけできることも増えるし、頑張ってくれている人に報いることもできる。」
そして、こう付け加えた。
「僕ひとりでは何もできないですから。もうお店に立たなくなって10年以上も経ちますし。」
4. 印象に残るお客様とのエピソード
上林氏は「二つあります」と答えた。
一つ目は、まだ自身が店に立っていた頃のこと。年配の女性が、お持ち帰りで「てんこ盛りをください」と、ご飯を多めにした大盛りのかつ丼を注文した。
「間違えているのかなと思って、『大盛りですけど大丈夫ですか』と聞き返したんです。そうしたら『息子の分なんです』とのことでした。」
作って渡すとき、女性がもう少し話してくれた。息子さんはこのかつ丼が大好きだった。その息子さんはもう亡くなっていて、これからお墓参りに行くので、お供えに買いに来たのだという。
「すごいな、と思って。そう思ってもらえる店ってすごいな、と。僕はまだ働き始めたばかりで、親父がずっとやってきたことのすごさを感じました。この店を大切にしたいな、と本当に思いましたね。」
二つ目は、理念をつくり、広げていくきっかけとなった風景だ。常連のお客様でも、その日の様子はなんとなく分かる。あるとき、暗い顔で入ってきた方が、かつ丼を食べ終えて帰るときには見違えていた。
「元気な声で『ごちそうさま』と帰っていかれて。さっきの暗い顔は何やったんよ、というくらい。これはもう、かつ丼を通して元気も提供できるんやろうなと思ったんです。」
その思い出から、いま社内で語り続けられる言葉が生まれるきっかけにもなった。上林氏は、自分たちの立ち位置をこう説明する。
「お酒を飲む業態ではないので。お昼、ランチの業態なんです。お昼に食べて『よし頑張ろう』という気持ちになれば、その方の午後の働きで世の中が少し良くなる。それってすごくいいじゃないですか。」
だからこそ、裏返しの責任も背負っている。
「僕らが何かミスをして、ランチが終わって昼から仕事のやる気をなくしたとなったら、本当は良くなるべきことがならなかったかもしれない。そう考えるんです」

カウンターに並ぶ一杯が、午後の活力になる。
5. これからやってみたいこと
これからの方向性を尋ねると、答えは意外なほど静かだった。4本柱は不動。期間限定はあくまで話題づくりで、無限に広げるつもりはない。食材は少なく、食器も少なく。かつ丼専門店として始まった一点を、これからも守っていく。
ただし、変化は別のところで起きている。
「もともと僕は200店舗にしたいという思いがあったんです。まだ全然なんですけれども。」
そのうえで、2025年6月、関東初出店となる池袋東口店を開いた。
「東京は情報発信地でもあるし、将来的にはフランチャイズに繋げたい。昔、フランチャイズを構築して『さあスタートだ』というときに、関西からでは東京で食べられない、という声もあったんです。東京で通用するのかも含めて、いまチャレンジしています。」

かつ丼 吉兵衛 池袋東口店の外観

本店を彷彿とさせる池袋東口店のカウンター席
また東京では2号店の物件を申し込んでいる。狙いは池袋を中心とした数店舗だ。豚肉は関西から送り、米や卵は現地調達。ただ物量が少ないため原価は高い。
「早く軌道に乗っていけるようにしたいなと思います。」
もう一つ、面白い取り組みがある。池袋東口店で実施している「かつ食べ放題」だ。かつては梅田でも展開していた企画で、背景には肩ロースという部位の宿命がある。
「肩ロースの10〜15%は正規の商品にならない。どういう道があるか、いかなる方法があるかと考えたときに、それが有効だなと。」
塊から切り出すときに出る端材は、「てんこ盛り」に添える一口かつになり、ミンチかつになる。なかでも大きく育ったのが「厚切りハムかつ」だ。とんかつ用の豚肉をトリミングする際に発生する端材をミンチ加工したもので、製造は兵庫のハムメーカー・株式会社三田屋本店に委託している。これを使った「厚切りハムかつ丼」は、いまや月間1,000食を超える人気メニューでもある。
この共同開発は2025年、大阪外食産業協会・食博覧会実行委員会事務局が主催する「もったいないもんグランプリ」でグランプリを受賞している(応募・受賞は株式会社三田屋本店)。廃棄予定の食材や二次加工・食材利用の取り組みを募るコンテストで、表彰式は大阪・関西万博のORA外食パビリオン「宴〜UTAGE〜」で行われた。
「どうしてもロスは出るものですけど、有効に使う方法があれば、それはそれで有効なんです。ハムカツとして食べてもらえるんですから。」
社会貢献という言葉を、上林氏は自分から大きくは語らない。ただ、肩ロース一本でやってきたからこそ生まれた課題を、他社の技術と組み合わせて商品に変えてきた。その積み重ねが、結果として認められた形だ。
そして、人。新たに迎える人事責任者と一緒に、募集から採用、教育、評価までを一気通貫で見る仕組みをつくる。土台を先に整えてから、店を伸ばす。順番は、いつもそうだった。
「不易流行、というんですかね。残すものは残して、変えるものを変えていく。もう五十年近くやっていますから、だいぶ世の中も違いますからね。」
6. この街「神戸」への想い
神戸を語るとき、上林氏はまず1995年のことに触れた。
「阪神・淡路大震災のとき、センタープラザも被災したんです。当時、ビルは立ち入り禁止になって。」
それでも、勉氏はすぐに動いた。ビルの1階部分、店が軒を連ねていた場所で、露店として商売を始めさせてもらったのだ。
「すぐ止めなかった、というところですね。そこからビルにも入れるようになって、復興というのかな、町並みが変わっていって。」
いまも神戸は変わり続けている。駅前の再開発、建物の建て替え、JRの駅ビル。その渦の中で、地下の一区画に立ち続けてきた意味を、上林氏は控えめな言葉にする。
「僕たちがどれだけ価値を提供できていたかは分からないですけれど、神戸で活躍される方の元気の源にはなるだろうな、と思っています。」
その手応えは、意外な場所で返ってきた。池袋東口店である。
「すごく特徴的なのはお客様で。『昔、神戸で働いていました』『神戸から転勤で東京に来ました』という方が、東京でも食べられると喜んでくださる。神戸ゆかりの人が、意外と多かったんです。」
わざわざ店まで足を運んでくださる。それでも、東京の莫大な人口の中では、まだまだ知られていない。
「東京でも、かつ丼を通じて、1人ひとりに次の活力を届けることができたら、と思っています。」
一方で、本拠地を移す考えはない。外食は地元に根ざす企業が多い業種だと前置きしながら、上林氏はこう語る。
「他府県で稼いで、しっかり神戸で納税する。同じ日本ですけどね。」
海外に出た経験もある。2016年12月、台湾の外食企業とフランチャイズ契約を結び、信義店を含む3店舗を展開した。相手はファンドが入り上場を目指していた企業で、方針転換の中で数年後に撤退することになったが、当時の社長とは今も繋がりがあるという。
神戸の同業者との横のつながりについて尋ねると、答えは飾らないものだった。派手なコラボレーションを描いているわけではない。三田屋本店との取り組みのように、必要があれば「普通の仕事として」一緒にやる。それだけです。
「うちはうちで、しっかり頑張っていこうという感じかな。」
継いできたファンを大事にしながら、新しいお客様にも届けていく。話の締めに、上林氏は言葉を一つだけ言い直した。
「活力を『与える』って、なんだか上からの言葉になってしまう。だから『届ける』なんです。小さな会社ですけど、微力ながらエネルギーを届けたい。」
1979年、カウンター6席から始まった一杯は、震災を越え、法人となり店舗数も増え、いま東京に届いている。その一杯を食べて店を出る人の背中が、少しだけ軽くなる。それが、吉兵衛が半世紀かけて積み上げてきた、活力を届ける「活丼」だ。
■会社情報
会社名:株式会社吉兵衛
代表者:代表取締役 上林 守
本社:〒650-0021 兵庫県神戸市中央区三宮町2-11-1 センタープラザ西館ビル地下1階A-22
創業:1979年8月(天丼専門店 吉兵衛として出店/同年11月「かつ丼吉兵衛」出店)
設立:2010年4月16日
資本金:300万円
従業員数:100名(パート・アルバイト含む/2026年3月現在)
事業内容:かつ丼専門店の経営および販売
合言葉:「かつ丼で活力を」
店舗:三宮本店/旭通店/元町店/プロメナ神戸店/今津港町店/東梅田店/なんば道具屋筋店/池袋東口店













