韓国の国家調理技能試験一級に初めて合格した女性、山崎氏の母である、朴三淳氏(パクサムスン)が1978年に創業したコース料理の「韓味一」を母体に、「韓国食堂入ル(イル)」、「蔘鶏湯人ル(ニル)」、「韓国食堂入ルの」、「本格小皿韓国スタンド@(アットマーク)」の5業態10店舗を展開。2025年6月「Iru Boston」をオープン。同社キャチコピー「参鶏湯を世界へ。朴三淳を世界へ。」を実現させた。参鶏湯の日本代表、(株) SOME GET TOWN山崎氏に話を伺った。

株式会社SOME GET TOWN 代表取締 山崎 一氏
SOME GET TOWN = 朴三淳イズム
「母、朴三淳は、半分は師匠で先輩経営者。半分が母という感じです。母と呼ぶより、彼女という言い方がしっくりきます」と、一見特殊な関係。から、今は互いに認め合う関係へ。
「商社勤めを辞めて、彼女(朴三淳氏)のもとで働くようになりました。一緒に仕事をすると、何度もケンカにもなりました。独立したいから、保証人のハンコ押してくれとお願いしたら、突き返されて。仕込みとホールしかしていない奴が何言うてるねん、ってことでしょうね」
「料理を一通り受け継いだ2012年、半ば追い出すような形で代替わりしました。自分で店をやるようになると、彼女に口うるさく言われた、料理する時は料理のことだけを考えろ、お客様が喜ぶことをやれ、といった言葉が、全部正解だったんです。やっていくうちに上手くいくようになり、母を大事にできるようになってきました」
母・朴三淳氏から事業継承することで、料理人&経営者としての朴氏の凄さをあらためて実感。レシピだけでなく、朴氏の人生のあり方、生き方を含めて、同社の指針となっている。
お客様のリクエストに応えるために新規出店
「彼女はゴッド母ちゃんのようなタイプなので、常連様も言いたいことがあっても言えなかったんでしょうね、代替わりした僕には、色々とリクエストを言ってきました。①洋式トイレにしてほしい、②駅から遠いから駅近く、③コースで量が多くて食べきれないので、アラカルトで注文したい。リクエストに応えようと、2013年11月オープンしたのが福島の『韓国食堂 入ル(イル)』です。
山崎氏が「入ル」をオープンするにあたり、常連客の「お母ちゃんに頭を下げて、戻ってもらい」の言葉もあり、朴氏は本店にカムバックする。
2016年8月に本町に「韓味一 朴邸」を出店、3つのリクエストに応えた時点で、一旦出店は終了するつもりだったという。
出店は人ありき
「出店は人ありきで、人にハコをあてがうイメージです。ある優秀なスタッフが辞めて東京に行きました。そのすぐ後に『入ル』がミシュランビブグルマンを獲ったんです。OBOGや取引業者さんを呼んで、祝勝パーティーをやりました。その元スタッフもいて、『東京で『入ル』やりませんか?』と。やろうか、と答えていたら、後日、物件情報が届きだして、本気やったんやと(笑)。調理もサービスも上手だったので、運営は未知数でしたが、その彼女に任せました」
2019年1月、恵比寿に「韓国食堂 入ル 坂上ル」をオープン。優秀なスタッフが集まり、後に「韓国スタンド@」店長となる女性も当時のアルバイト。
「ベースに朴三淳の料理があり、業態は違っても、料理は同じです。提供する料理を食べる時間で業態を考えるイメージです。フルコースの『韓味一 朴邸』なら2時間。アラカルトの『韓国食堂 入ル』なら1時間半、参鶏湯セットの『人ル(ニル)』なら1時間、立ち飲みの「韓国スタンド @(アットマーク)」なら15分という風に」
初の海外進出。アメリカ・ボストン出店の苦労と、救世主。
「アメリカ・ボストン出店は、ボストンに行ったら、偶然良い物件が見つかったからです(笑)。アメリカ出店は、個人的なビジョンにはありました。有言実行で、言ったからにはやる、やるからには成功させたいじゃないですか」
「日本で新規出店する場合は、言葉が通じるし、経験即で分かっているから、だいたい何とかなります。でもアメリカは何ともなりません。ノリでやるべきじゃないですね。衛生や安全に対するルールが違うし、生ものより冷凍食品の方が安全という考え方です。直感を信じて挑戦しましたが、1週間後には絶望に変わりました(苦笑)。無知は強いです、上手くいくと思い込んでいました」
窮地を救ったのが、山崎氏と同じく韓国人を母に持ち、韓国料理や寿司など、ボストンで数軒レストランをやっているセレブシェフ、ジェイミー・ビソネット氏。
「ジェイミーにインスタグラムでDMを送ったら、会ってくれて、何はどこを使えと、仕入れ先を全部教えてくれたんです」
「アメリカは、有名なセレブシェフのところに、良い食材や流通が集中するんです。料理人が働く店を選ぶ時、1番は給料ですが、シェフのネームバリューを見るそうです。ネームバリューがないと、仕入れも満足にできません」
過去最速のオープン2カ月で「ベスト オブ ボストン」選出

株式会社SOME GET TOWN(サム ゲット タウン)代表取締役 山崎 一
4月に「IRU BOSTON」をオープン、6月に過去最速で「Best of Boston」に選出。
「ミシュランにしても、どうやったら選ばれるのかと、よく聞かれるんですが、母が言う『ちゃんとしいや』を、やりきるだけです。ほかの受賞店40店舗ほどの料理を食べると、甘い辛い酸っぱいなどに分類できる、分かりやすい味でした。それを参考に、ナムルにニンニクを入れて、塩味を増やしたら、お客様の反応が良くなりました。洗い場に戻ってくる量が明らかに減りました」
「ボストンでは日本と同じものが手に入るわけではないので、作れるものを提供するだけ、ローカライズはしていません。アメリカも韓国式のパンチャン(副菜の小皿料理)は無料で食べ放題が多いのですが、ウチは全部手作りなのでやりません。賛否両論がありますが、手作りの価値は、食のアンテナが高い人には分かってもらえます。仲良くなったシェフ仲間から言われたのが、『味への意見は気にするな、サービスを指摘されたら直せ』でした」
海外で挑戦する理由
「日本で飲食店を9店舗やっていると言うと結構ビビられます。なんでボストンに来たん?とも言われます。ボストンに金髪の変な日本人が来て、参鶏湯の店をやると言ったら、頭がおかしいと思われました。ローカル料理の参鶏湯がボストンから広がったら、夢があるじゃないですか。ボストンだから評価されたんだ、ニューヨークでは無理とか言われると、メラメラしますね。機会があれば出したいし、やるなら一番になりたいです」
「実は前に、店舗も全部用意するからシンガポールで出店しないかと誘致されたことがありました。でも、会社の付加価値、ブランディング的には、シンガポールよりアメリカなんです」
「僕がなぜチャレンジしているか? 僕が若いころは、生き様がアーティスティックな、格好良い先輩たちがいました。今はSNSの時代なので、お金やルックス、店舗数など、目に見える価値が重視されがちです。若い子のモデルパーソンとして、こんな生き方でも良いんだよ、オーナーが海外に出ていっても良いんだよと、伝えたいです」
飲食業を通して成長できる企業でありたい
「社会人として、飲食を選んでいます。スタッフには、飲食以外のどこに行っても活躍できる人になってもらいたいので、『飲食人』という言葉は、それしか出来ないみたいで、あまり好きじゃないですね。スタッフが成長するために、飲食業というシステムを使うのは良いなとあらためて思いました」
「商社出身なので、数字には強いです。飲食店は伝票管理が苦手な人が多いので、スマホでエクセルのフォーマットに日々の伝票を入力したら、PLなど財務票の65%くらいが分かるシステムを導入して、日々入力してもらいます。全スタッフにフルオープンにしている、自分たちの通知表です。数字をオープンに共有しているので、お金の話が早いです」
南くんを擁するびんぼっちゃま?
山崎氏のSNSは、自身や自社をどこか俯瞰で見たような、スタイリッシュでセンスある世界観。添えられる独特な語り口の文章も素晴らしい。そのあたりを聞くと、すべて山崎氏のブランディング。
「南くん(マンガ『南くんの恋人』の小人サイズの登場人物)がいて、びんぼっちゃま(マンガ『おぼっちゃまくん』の正面から見たら服を着ているが、後ろ姿は裸の貧乏キャラ)なんです。ポケットに南くんがいて、俯瞰で見て、教えてくれるんです。びんぼっちゃまでもあるので、見せられる正面だけをずっと見せているんです。飲食業はカッコ良いと思われる存在でありたいですから」
韓国料理がどれだけバズろうが、流行は追わない
「韓国料理でチーズタッカルビなどが流行っても、一切やりません。新大久保のようなボリュームゾーンには絶対手を出しません。レッドオーシャンですから。3年で辞める店は考えたことがないですね。今は10年続く店も少なくなりましたが、数店舗は10年が見えてきました」
「国内で出店するなら大阪より東京でしょう。キーワードは再現性です。『日高屋』さんの韓国料理バージョンが出来たら面白いでしょうね」

SNS用にスタッフを撮影する山崎氏
社名 株式会社SOME GET TOWN(サム ゲット タウン)
代表取締役 山崎 一
住所 大阪市西区土佐堀1-1-32 日宝リバービル3F













